生への執着の話。

自殺の話ってよく目にします。学生が自殺した、パワハラ被害者が、著名人が、色々。

現代日本、というかインターネットに張り付いてるような人間にとっても自殺ってトピックは割合ホットであるというか、本気の度合いはさて置いても、自殺をするかどうか、考えたことある人って結構多いんじゃないでしょうか。

 

けど死ぬのって怖いし。なんだかんだ人並みに未練あるし。

っていうか死ぬ理由がそこまで無い。だから死んでない。

って言うのが自分で。多分同じ思考の人は世の中に掃いて捨てるほど居る。

 

勿論そんな生温い話じゃなくて、もっと深刻な状況に陥って未遂、或いは完遂まで...って人が居るのも事実ですけど、最近は特に自殺って単語が軽々しく扱われがちだと思っています。

事実この記事自体が軽率ですしね。

 

自殺ってのは読んで字の如く自分で自分を殺める、ということですけど、裏を返せば肉体的には生命活動の限界を迎えていないってことで、衰弱度合いに差はあれど生きるつもりがあれば全然生きられるってことですよね。

 

ただ、肉体的にも生命活動には支障をきたさないけれど、日常生活には支障しかない、なんてことも全然ある話で、それに耐えきれずに自殺を選ぶ人も居るでしょう。

病気や事故に遭った時に関しては自分でも想像つかないのでわかりませんけど、もし寝たきりになってしまうような事になったら自殺を選んでもおかしくはないかなぁと思います。

 

 

 

好きなように生きて早死するか、長生きして大往生するかって割と雑談のネタの定番かなって思いますけど、多分、自分含めて最近は早死したいって人多いんじゃないでしょうか。

 

自分の場合は、年老いてヨボヨボになった自分を想像するのが怖いというだけの話であるので、数十年後、心身ともに若く保てる技術が生まれて実用化されてるならば、自分は喜んで長生きをするのだろうとは思います。

 

結局死ぬのが怖いだけなのです。痛いのも苦しいの嫌。

けど、いざ死が避けられないとなったならば、案外すんなり受け入れられるような気もしていて。

 

自殺を引き止めるだけの未練はあるけど、捨てろと言われたらそこまで執着が無い程度の未練。

果たしてそれは未練と言えるのか否か。

 

まぁ、そんなことを言っていても、それが本当かどうから実際に死を目前にしないとどうなるかわからないので。

こんなこと言っておいて実際は見苦しく生に縋り付く、なんてことも無くはないですよね。

 

それはそれで滑稽で面白いかもしれませんが。

 

 

最近、インターネットがいよいよもっておかしな世界になってきたな、という実感があります。自分が見ているのはごくごく狭い範囲でしかないという自覚はありますし、それを前提とした上で尚、おかしな世界になってきたな、と。

 

元々、というかここ数年ですかね。SNSが普及してからというもの、日本は結構政治の話で荒んだ議論が勃発しがちではあったと思います。

"日本は"とは言いましたけど、別に世界各国似たような状況だったでしょうが。

 それが、ここ最近の情勢の影響で更に悪化してきたなぁと思います。

 

感染性の話は、当初はなんだかんだ言ってまぁ、想像のつく範囲と言いますか、見てて面白いもんではないけど、正常な異常だったんですよね。

けど、大統領選の話は様子が違ったと感じていて、Twitterで連日のように陰謀論がトレンド入りしてた時期が少しありましたよね。あれ、中に人入ってましたか?

自分にはどうしても機械的というか、人の存在を感じ取れなくて、すごく不気味でした。

 

今まではなんだかんだで人が見えてたんです。その主張が正しいかどうかは置いておいて、とにかく人が居たと思います。

けど先のあれ、botじゃないですか?

そう感じたときに、あぁ、これからインターネットはどんどん薄汚れた醜い世界になっていくんだなぁ、と感じました。

人の思想をコントロールするのにbotが利用される時代は、いよいよ終わりの香りがしてきますね。

 

もっとも大統領選の前から日本国内の政治的なデモ、デモって言っていいんですか?アレ。まぁいいや。

アレが盛んになり始めた時期からおかしくなってきたなぁとは感じてたんですけど、何と言うか、まぁ、良からぬ思想を持った連中がインターネットの使い方を理解してきてしまったのかなぁと、少し考えていました。

あまり良い事ではないですけど、そりゃあ時間の問題ではありましたよね。今思ってみれば。

 

諸々の異常を踏まえて個人的に気になるのは、"アレ"って世論に影響を与えてるんでしょうか?

自分の身の回りじゃ特にそんな兆候見られないんですよね。もっと広い範囲ならそれなりに影響があったんでしょうか。

まぁ、影響があったとしてもそれが良いわけではないですけど、"アレ"の効果がどれほどのものだったのか、というのは、ちょっと気になります。

 

あと、ちょっと話は逸れますけど、今から政治について学ぼうとするとインターネットを利用するのが最も手軽になると思うんです。

けど、今こんな感じになってきてる以上、今後インターネット上の情報を元に政治を学んでしまったら絶対に思想が極端な方向に偏っていってしまうんじゃないかなぁ、となんとなく思っています。困っちゃいますね。

 

まぁ、一人や二人じゃ世界は変わりませんし、どうせ成るようにしか成らないのですから、別に難しいこと考えずに身の回りの事柄にだけ目を向けて生きていけばいいのかなと、そう思います。

現実から目を背けるというのは気持ちが良いもので。

別に現実から目を背ける行為それ自体が快感を伴うなんてことは決してなく、背けたくなるような現実がある以上、それから目を背ければ相対的に気分が良くなる、気持ちが良くなるというのは、まぁ、当然といっちゃ当然でしょうか。

 

かといって、そんなことしてても完全に開放されたわけじゃないなんてのは、自分が一番よくわかっているのです。

結局問題を先送りにしているだけであって、目線の外には現実がいつも付きまとっているという自覚はありますから、目を背けた現実から発せられるストレスは常に一身に受ける羽目になります。

それが現状自分ではどうしようもない事柄なのであれば、目を背け続けるというのも一つの対処法、正解と言ってもいいのかなとは思いますが、逆にそれが短期的、長期的問わずとも自分で解決できる事柄ならば、それを先送りにするというのは不合理も不合理な行為ですよね。

そんなこと、誰に言われずとも自分自身が文字通り痛いほど理解しているわけですが、悲しいかな、人間っていうのはどうも学ばないっていうんでしょうか、長期的なスパンで物事を考えるのがとても苦手な生き物ですから、目先の快楽に引き寄せられてしまうのです。

 

私の話を人間全体に当てはめてしまっては怒られますかね。

けど、主語っていうのは大きい方が書いてて楽しいですよね。

ポエミーな文章を読むと自分もポエミーな気分になります。

だからって自分もポエミーな文章を書くってことは別にしないんですけど。

けどこの文章はポエミーな気分になったのでその勢いで書いています。

 

別にそういう文章を書きたくないわけじゃないんですよ。

抽象的な表現で、自分の頭の奥底を文章に表現する、って。それってとっても素敵じゃないですか。

けど私にはそういう文章を書く力が無いんですよね。

何度書いてもそれらしき紛い物になってしまうし、読み返した時の小っ恥ずかしさったらないです。

実際のところ別に"ポエミー"なんて抽象的な括りに本物も紛い物も無いわけなんですが、少なくとも自分の目に自分の生み出したものは紛い物にしか見えないわけです。

 

話は変わりますけど、ああいう文章を書ける人って私と何が違うんでしょうか?教養?国語でも勉強すればいいんですか?小説をたくさん読めば美しい文章が書けるようになりますか?それともこれまでの人生経験でしょうか?なら私はろくな人生を送ってこなかったということでしょうか。確かにそれは否定しませんけど。

 

「何かを発信する」というのが目的で始めたこのブログですけど、自分自身がその時持っている思想を書き留めておきたいといった理由もある気がします。

 

私は自分の思想を表に出したくない主義です。

というより、他人に"私"という器と人格・思想を紐付けられたくない。

 

思想ってとてもとてもセンシティブな話題です。内容によっては燃える。

だから器のキャラクター付けをするのに必要な思想以外は表に出すべきではなく、加えて器は可能な限りコンパクトで小綺麗な人格を形成するべきだと。

それが私の考えです。

これはこれでまぁ問題もあるんですけど、少なくとも今の私には都合がいいんですね。

 

で、そうなると日々の思考は全て自分の中に留まり続けます。吐き出す場所がないですから。

今まではそれで良かったんですけど、最近は結構しんどいなって感じることも増えてきました。

なので吐き出せる場所が欲しくって、そこでこのブログです。

つまり、ここは私が散々避け続けている人格・思想情報だけでほぼ構成されているわけです。

 

ただ、もしこれを自分のことを知る人物が見てしまって、器と人格が紐付いてしまうなんてことが起こった場合大変都合が悪いです。

なので検索避けとかも兼ねてパーソナルな情報は可能な限り避けていますが、正直限度があります。

っていうかパーソナルな情報を避けているせいで書けない話題とか結構あって、それは本末転倒なんじゃないかって思わないでもないです。

 

あとは文体の癖とか多分かなり露骨に出てるんじゃないかなぁという気はします。文体を変えようみたいな努力一切してないですからね。

本当にそのレベルで隠そうとするなら隠しきれないなりに隠そうとはしてますけど、匿名になりきれない自己顕示欲みたいなものが溢れてるみたいな。そういう感じです。多分。

まぁ自分のことを知る人が偶然ここに辿り着いて更に自分と紐付けるなんてことはまずないでしょう。

 

とはいっても紐付いただけで信用が揺らぐとか、そういう過激なことは書かないと思います。

元々そんな過激な思想持ってないし。

「何者かでありたい」と、私は昔からずっと思い続けてきました。

それ自体は割とありふれた思想だろうと、そう思います。

 

ただまぁ、「何者か」の定義って人それぞれですよね。

私の場合は「一般大衆とは違う、特別な個人」のことをそう定義しています。

「私はお前らとは違うんだ」とか「敷かれたレールなんて嫌だ」みたいな、要は中二病的な思考だったわけです。

けど、実際、思春期の頃にそう思い描いていた人って沢山居ると思うんですよね。むしろ全体の半数を超えると考えてすらいます。

ただ私のそれは少し違うというか、引き摺ってしまっているんですね。未だに。

思春期の思想を引き摺っているというか、むしろ思春期を拗らせたような感じですらあります。

未だに思春期の真っ只中に居るような感覚。心を若く保っていると表現すれば少しは聞こえが良くなるでしょうか。

まぁ、その実態は醜くて仕方がない、叶いもしない夢に縋り続けた果ての意地汚いものです。

 

ただ、同じ思想でも時が経つにつれて変化してくる部分もあるのです。

昔は「他人と違うと認められたい」と考えていたのに、最近は「自分自身が何者かになれたと認めれなければ意味がない」という感じに変わってきたのを感じています。

要するにめんどくさくなった。より拗れました。

昔は煽てられれば木に登ろうとしてたところを、今煽てられれば食ってかかるようになったようなものです。

 

あと、これは確証は無くなんとなく察しているものなのですが、自己肯定の判断基準が自分自身に依存しているということは、もし今後どれだけ出世しようと自分自身を認めることはできないのだと思います。

 

この思想が今後の人生で変化する可能性も十分ありますけど、少なくとも今の私には想像できない。

別に未来のこと想像できる人なんてそもそも殆ど居ないでしょうし、今想像出来ないからって今後絶対に変わらないなんてことは無いですけどね。

むしろ変わらない方がおかしいのでは?という気もしますし、恐らくいつかは変わるのでしょう。

 

最終的に自分のことも認められて幸せな人生を過ごせるようになるといいですね。

私はお金を使うことが苦手だ、なんてことは前回っていうか昨日書いたことなんですけど、それに関連して私は月額制のサービスなんかもかなり苦手としています。

 

Amazonプライムには加入してますし、NetflixとかSpotifyみたいなストリーミングサービスならまだなんとかって気はしますけど、最近はソフトウェアの方にも月額制増えてきたじゃないですか。

ウイルス対策ソフトは月額制が多いですし、最近はMicrosoftもOfficeの月額制ありますよね。実際一度に支払う金額が少なくて済むっていうメリットはあるんですけど、私の心情的には毎月小さい支払いが積み重なるよりお金ためて一回まとめてドンの方が気楽に感じてしまいます。

あと、たまーにですが、基本月額制だけど買い切りプランも用意してるよなって奴があって、そういうのは私みたいなのにはとってもありがたい訳です。

 

逆にこれまで買い切りだった物が今は月額のみのもありますけど、それは以前からのユーザーからしたらたまったものじゃないんじゃないですよね。

私はAdobeを思い浮かべています。というかAdobeしか私が知ってる例がないんですが、少なくともAdobeの場合は反発も大きい印象です。Twitterとか見てると複数のクリエイターさんが"アドビ税"なんて表現してるのを何度か目にしたことがありますね。半ばスラング化していると言えなくもなさそうですが。

 

こんな事を考えてた原因といいますか、Kindleの読み放題が月額1000円くらいであるんですよね。それをオススメされまして。

本かぁ。読みたいとは思ってるけど読んでる時間無いしなぁ。と少しは考えたんですが、よくよく思い浮かべてみるとスマホ弄ってるけど何もすることなくてボーッとTwitterの更新連打してること、結構あるな。と。

読む時間、あるのでは...?

その時間を読書に割けるなら有益な気がしますし、月額1000円って比較的手出しやすい方だし、動画と比べて本って小さい空き時間でも小回り効くから手つけやすいなぁ。けど月額制かぁ...。と。揺れておるわけです。

 

うーん、どうしよう。もうちょっと揺れてみようかな。